「自慢できるスキルが、自分には何もない」。
そう思っている人は、たぶん少なくない。何年も働いてきた。毎日それなりに忙しい。けれど、いざ「あなたの専門は?」と聞かれると、言葉に詰まる。履歴書の資格欄も職務経歴も、書けることが薄い気がする。人に胸を張って説明できる尖ったものが、自分の中に見当たらない。
その感覚から逃げる必要はない。あなたが薄いと感じているなら、それはたぶん本当に薄い。ここで「あなたは本当はすごい」と言って安心させるつもりはない。あなたが求めているのはそれではないからだ。求めているのは、人に説明できる本物のスキルと、それに裏打ちされた本当の自信。慰めではない。
今日確かめたいのは二つだけだ。なぜ自分の経験はこんなに薄く感じるのか。そして、本物のスキルと自信を、どこで、どうやって手に入れるのか。気の持ちようの話はしない。
1. 履歴書に書けるものが、何もない
最初に、壁の正体をはっきりさせておきたい。多くの人を外に出させないでいる壁は、漠然とした無力感ではない。もっと具体的だ。
「書けるものがない」。これに尽きる。
Excel の関数は組める。SQL も書ける。仕様書を読めば構造は見える。手は、思っているより動く。それでも、その一つひとつが「自分の専門です」と名乗れるほど尖っていない気がする。誰かに「これができます」と言い切れる、輪郭のはっきりした何かが、自分の中にない。
履歴書に書けないと、人に説明できない。説明できないと、外で値段がつく気がしない。値段がつかないなら、独立なんて土俵には立てない。この順番で、外に出る前に話が終わる。多くの人は、能力で負けて諦めているのではない。「書けるものがない」という一点で、土俵に上がる前に降りている。
この壁は、本物だ。気の持ちようでどうにかなる、という話にはしない。本物だからこそ、どこから来たのかを正確に見ておく。原因がわからないまま「自分の努力不足だ」と片付けると、間違った場所で努力し続けることになる。
2. 経験が薄いのは、両側から作られている
なぜ尖った専門が積めなかったのか。手を抜いたわけでも、才能がなかったわけでもない。尖れる場所に置かれていなかった。それは発注する側と、請け負う側の両方から、同時に作られている。
発注する側から見る。多くの日本企業は、システムをベンダーに丸投げしてきた。自分で中身を理解しないまま、出てきた成果物を評価する。だから発注側にも知識が落ちない。経産省は以前から、このベンダー丸投げの構造を問題として指摘してきた。数字でも裏が取れる。総務省の情報通信白書によれば、日本では IT に関わる人の約 72% がベンダー企業の側にいて、米国では逆に約 65% が発注する側、つまり業務を持っている企業の側にいる。発注する側に技術を持った人が薄い。これが日本の形だ。発注側は理解しないまま発注し、理解しないまま受け取る。そこに深い経験が育つ余地は少ない。
請け負う側を見ると、もう一段ねじれている。一次受けの会社も、実際の開発は二次、三次へと投げていく。自分はマネジメントのような動きになる。だから、どの会社のどの現場に配属されるかで、開発の経験を積めるかどうかが決まってしまう。半分は運だ。そして二次、三次と下に行くほど、回ってくるのは「言われたことをやる」仕事になる。後続になるほど単調で、責任もなく、新しく積み上がるものがない。経済産業研究所の調査は、この重なった下請け構造の中で、間に挟まった中間の下請けが最も生産性が低い、と指摘している。客先常駐で働く人が、こう書いている。「スキルのいらない誰でもできるような時間だけが膨大にかかる仕事のみ山のように降ってきます」。力を使う仕事ではなく、時間だけを奪う仕事が、山のように積まれる。
ここで、自分の経験年数を正直に数え直してみてほしい。SQL も触った。Python も触ったかもしれない。けれど、一つひとつの重みが軽い。深く向き合う前に、次の断片に移らされる。だから「これができます」と語れない。「経験◯年」と履歴書には書ける。書けるけれど、実質で、賞味で数え直すと、その何分の一かしか残らない。一年に満たないことだってある。あなたはそれを、無意識のうちに自分で計算している。だから「経験◯年」という数字を、自分では信用していない。前に動かす一歩が、そこで止まる。
経験が薄いのは、あなたの問題ではない。発注側の丸投げと、多重下請けと、運任せの配属。この三つが重なった場所に長く置かれていれば、誰がいてもそうなる。
3. その実感は、正しい。ただし数え落としているものがある
ここまで読んで、慰められた気はしないはずだ。それでいい。「構造のせいだ」と言われても、書けるスキルがないという事実は一ミリも動かない。その実感は正しい。薄いものは、薄い。
ただ、あなたが「書けるものがない」と数えるとき、勘定に入れていないものがある。それは「書けるスキル」ではない。だから持ち物として数えていない。けれど、確かにあなたの中にある。
何年も、立場の違う相手の間に立って話をまとめてきた。レビューで何往復もやり直した。差し戻しを受け、叱責を受け、それでも翌日にはまた机に向かった。会議で潰れた一日の翌朝も、止まっている物事を、もう一度動かしてきた。これらは履歴書に書けない。資格の名前を持っていないし、「私の専門です」と名乗る言葉もない。
これを「だからあなたには資格がある」と言って終わらせるつもりはない。それは慰めだ。物事を考え、止まったものを前に進めるこの力は、それ単体では値段のつく商品にならない。人に説明できる本物のスキルでもない。
ではこの力は何の役に立つのか。エンジンだ。これから本物のスキルを自分の手で作っていくとき、それを回し続けるための原動力になる。何度差し戻されても作り直す力、潰れた翌朝にまた動かす力。本物のスキルは、この先の実践で作る。その実践を最後まで回し切れるかどうかは、このエンジンを持っているかどうかにかかっている。あなたはもう、それを持っている。足りないのはスキルであって、エンジンではない。
4. 差は縮んでいる。ただしAIは魔法ではない
それでも残る引っかかりがある。「書けるスキルがない」という、具体の差そのものは、まだ埋まっていない。エンジンがあっても、手を動かす技術で他人に劣るなら、結局スタート地点に立てないのではないか。
その差は、いま縮んでいる。履歴書に書けなかった具体スキルの差は、AI によって急速に詰まりつつある。同じことを、現場で手を動かしている人たちが書き残している。
ある人は、こう言う。「AI is raising individual capability to a level that once required a full team … a democratizing force rather than monopolizing(AI は、かつてはチーム全体を必要とした水準まで、個人の能力を引き上げている。これは独占ではなく、民主化の力だ)」。能力を一部の人が囲い込むのではなく、外に開いていく。そういう向きの変化だと、肌で触れている人が言っている。別の人は、もっと素っ気なく書く。「AI を使えば、誰でもアプリが簡単に作れるようになりました」。そして、こう付け足す。「知っていても、それを実行している人は少数派です」。
どの AI が賢いかを、いちいち選ぶ必要はない。複数の AI を束ねて使い分けるものから入れば、入り口でつまずかずにすむ(Genspark の完全ガイド)。
ここを正直に言っておく。AI は魔法ではない。薄い経験と、自分の脳みそだけを抱えて、AI さえあれば一人でなんでも簡単にできるか。そうはいかない。AI は差を縮めるが、ゼロにはしない。詰まった差を実際に自分のものにするには、自分で手を動かし、考え、何度もやり直す過程がいる。だからこそ、AI を持ったうえで「個人でどう戦うか」という戦略が要る。その戦略の中身は、今日は踏み込まない。道具の使い方も、ここでは書かない。それは、実際に手を動かす段になってからの話だ。今日確かめておきたいのは一点。あなたが諦めの根拠にしていた「具体スキルの差」は、固定された絶壁ではなくなった。地面が動いている。
5. 自信は、自分の手で成果物を作って得る
本物のスキルと、本当の自信。これはどこで手に入るのか。誰かに「あなたは大丈夫」と言ってもらって得るものではない。自分の手で成果物を作って、得る。場所は、会社の中ではない。制約のない、自分の個人の場所だ。
今、AI を使えば、いちいち先に学習を済ませなくても、自然言語で先に成果を出してみることができる。やりたいことを言葉で投げて、まず形を出す。それをどんどん経験する。自分が投げた依頼が形になっていく。その形を、今度は分解して、なぜ動いているのかを理解する。理解できたら、自分でもう一段難しい課題を自分に課す。これを、最終的に一つのビジネスソリューションを構築できる水準まで、続ける。
これは、会社の中では絶対にできない。会社はまだ AI に疑心暗鬼で、セキュリティの整理でもたついている。何を試すにも稟議が要り、貸与された環境では触れることすら制限される。制約だらけの場所では、あなた自身の進化は発揮できない。
自分の個人の場所には、その制約がない。何を言ってもいいし、言ってはいけないこともない。壊してもいい。壊して、直して、また壊す。それを誰にも止められない。これをしばらく続けると、あるとき気づく。「意外と自分は、もっと考えられるんだ」と。詰まったら AI に聞けばいい。わからないことは、その場で埋められる。誰かに頼まなくても、自分で前に進める。これが、本当の自立だ。本物のスキルも、本当の自信も、この過程の中でしか手に入らない。与えられるものではなく、作って得るもの。順番が逆だ。自信があるから作れるのではない。作るから、自信がつく。
最後に、正直なことを一つだけ。この道で、いちばんぶつかるのは孤独だ。一人で、自分の場所で、一つのことに向き合い続ける。隣に誰もいない。だからみんな、やらないのかもしれない。けれど、何かを本当に突き詰めるには、一人の時間と、一つのことに向き合う時間が、どうしても要る。その大切さを、どこかで学ばないといけない。孤独は、避けるべきコストではなく、突き詰めるための条件のほうだ。
確かめ方は、たいそうなものではない。今日いきなりビジネスソリューションを作る必要はない。いちばん小さなことを一つ、誰にも頼まれずに、自分の手で最後までやってみる。それで十分だ。
次の記事に、その一番小さな一手を置いておく(AIで個人開発を始める最初の一手)。読んで、一旦そこで納得してくれていい。本物のスキルと自信は、その小さな一手の先で、あなた自身が作っていくものだ。